ポジティブな言葉がしんどいと感じる理由

私の周りにはネガティブな人もいればポジティブな人もいますが、長年付き合っている人、親しい間柄の人だと、もうあんまりネガティブもポジティブも関係ないなと感じています。

お互いがどういう性格、性質なのかもある程度分かっているし、最低限の気遣いを忘れず、心地よい人間関係を築けているかと思います。

相手がネガティブな人だったりすると、お互いに「分かる~」と言いながら理解を示せたり、

ポジティブな人には「まぁ大丈夫でしょ~」といった感じに励まされたりしています。

ただ中には、この人のポジティブ言葉はしんどいな・・・と感じる人もいるんですよね。

なぜだかそのポジティブな言葉が重圧としてのしかかってくるというか。

この違いは一体何なんだろう? 今回はそのあたりを考えてみようと思います。

ポジティブな言葉なのにしんどく感じるのは?

私自身、ポジティブな言葉に助けられたことももちろんあります。

その反対に、ポジティブな言葉で傷付けられたこともありますし、ポジティブな言葉が辛い、しんどいと感じることもありました。

それは一体なぜなのか?

これは割と単純な話で、相手の気持ちに寄り添っているかどうか、それだけだと思います。

私は以前、ネガティブ思考が嫌われてしまう理由に関する記事を書きました。

こちらの記事でもほぼ同様のことを書いているのですが、要は、自分の感情をぶつけるだけで相手に対する配慮も何もない、相手に負担をかける関わり方がそもそも問題なのではないかというお話をしています。

ポジティブな言葉も、結局はこれと同じことが言えるのだと思います。

ネガティブな感情の否定

ネガティブな言葉、マイナスな言葉よりも、ポジティブな言葉をかけられたほうが気持ちとしてはプラスになるのでは? とも思いますよね。

特に、自分が落ち込んでいるときなどはポジティブな言葉をかけられたほうが元気になれそうですよね。

ただ、ですね、

「そんなことで落ち込んだって仕方ないじゃん!もっと前向きに考えようよ!」

「そんなの気にし過ぎだって!何でも悪いふうに考えるのは良くないよ!」

割とこういった言い方をされる方が多いです。

これって、実は相手の感情を否定しているだけなんですよね。

よく例えられるのが「コップの水理論」ですが、

「コップの水がまだ残り半分もある」と感じる人もいれば、

「コップの水がもう半分しかない」と感じる人もいるし、

はたまた「コップの水が半分になったなぁ」と、ニュートラルな人もいるわけです。

別に、コップの水の量に対してどう感じるのかに良いも悪いも、正しいも間違っているもないですよね?

それはコップの水理論だけの話ではなくて、あらゆる物事に言えることだと思います。

この場合、コップの水がもう半分しかないと不安になっている人に対して「それは悪く考え過ぎだって!コップの水はまだ半分もあるじゃん!ポジティブに考えようよ!」

と言うようなもので、果たしてそれを言われた相手の不安は和らぐでしょうか?

少なくとも、私は無理ですね(笑) さらに不安になるだけです。なぜなら、私の不安な気持ちを否定された挙句、思考の押し付けまでされてしまったからです。正直、これならコップの水がもう半分しかないと、1人で不安になっていたほうが遥かにマシだと思います。

人間、その物事に対して生まれてきた感情はどうしようもありません。

ある程度抑えたり、我慢したり、どこかで発散することはできますが、その感情が生まれてくること自体はどうしようもないんですよね。

「コップの水はまだ半分もある」と感じる人に対して「え、それは楽観的過ぎない?もう半分しかないじゃん。すぐなくなっちゃうよ」と言うことも、相手の気持ちを否定していますよね。

同じ否定のニュアンスなのですが、ネガティブな言葉に比べると、ポジティブな言葉での否定は何となく軽視されがちなのではと感じています。

感情を否定されてかけられる言葉は、それが例えポジティブな言葉だとしても私はしんどく感じてしまいます。

ポジティブな言葉に助けられたと最初に書きましたが、それはなぜだろうと考えたときに、その言葉をかけてくれた人たちは、私のネガティブな感情の否定はしなかったんですよね。

「不安になっちゃうのはしょうがないね」と、私の感情を受け入れてくれた上で「そんなに気にしなくても大丈夫だよ」と、不安を和らげる言葉を選んでくれているんです。

自分の望む言葉以外は受け入れないというのは傲慢かもしれませんが、やはり否定から始まる言葉は、聞くのも受け入れるのもしんどいなと感じます。

ネガティブ思考=悪という認識

そもそも、なぜポジティブ思考を押し付けるような言い方をされるのだろうということも考えてみました。

これは要するに、それを言っている人の根底に「ネガティブ思考=悪」という認識があるからだと思います。

だから、ポジティブな思考や発言以外は封じるというか、そもそもネガティブな感情を抱くことは間違っているといった認識がその人の中にあるんでしょうね。

そして、こういった認識を持っている人は割と多くいます。

ただ、私が言うのもなんですが、ネガティブ思考も人間にとっては必要なものなんですよね。

詳しくはこちらの記事に書いています。↓

上記の記事にも書いているとおり、ネガティブな思考はリスク管理、リスク回避などにつなげることもできますし、必要な感情だからこそ存在しているというのが私の持論です。

だからといって「ポジティブな思考こそが悪で、必要のない感情だ」ということを言いたいわけではなく、ネガティブ思考、ポジティブ思考、どちらも必要なものだと思っています。それでバランスが取れているというか。

世の中の全てがネガティブ思考になった世界、逆に世の中の全てがポジティブ思考になった世界、どちらも間違いなく破綻しますよねということです。

とは言え、世間としてはやはり「ネガティブ思考=悪」という風潮が強いなと感じています。

もちろん、行き過ぎたネガティブ思考はうつ病などのリスクも高まりますし、ネガティブ思考が全て正しいとは思いません。

でも、それと同じくらい、ポジティブな思考の押し付けも、果たしてそれが正しいことなのか? 疑問に思います。

人それぞれの状況や環境もあるし、思うところもあるかと思います。なので、全員が全員ポジティブな言葉を前向きに受け止められるわけではないんですよね。

ポジティブな言葉はいいものだからという共通の認識から相手にもポジティブな思考を求めることは、一種の同調圧力にも思えてしまいます。

ネガティブな感情を抱くこと自体はごく自然なことなので、それ自体に善悪はありません。

最初からネガティブ思考を抱くこと自体が間違っているといったニュアンスが感じ取れるような言い方の場合、ポジティブな言葉を並べ連ねられるほどしんどくなりますね。

まとめ

今回はポジティブな言葉がしんどく感じる理由をいろいろと考えてみました。

もちろん、ポジティブ思考な人全てがネガティブ思考の人を否定しているわけではないということは十分に分かっています。

なので、これもその人その人の性格や性質によるところもあるのでしょうね。

あまりにも「ネガティブ思考は根絶すべし!」といった勢いでネガティブな感情そのものを最初から否定されてしまうと、こちらは自分の存在全てを否定されたような気持になってしまいます。(そしてネガティブ思考にさらに拍車がかかるという負のスパイラル(笑))

全ての物事にはポジティブな側面、ネガティブな側面、両面が存在していると思います。なので、ポジティブな面が見える人、ネガティブな面が見える人、ともに必要不可欠なのではないでしょうか。

同じ出来事に遭遇しても、プラスに捉える人もいれば、マイナスに捉える人もいます。

何度も言いますが、それ自体に良いも悪いも、正しいも間違っているもないです。

私はそんなこと全く気にしたことないけど、この人は違うんだ、そういうふうに感じる人もいるんだなぁと、自分には理解できないことでも、まずは相手の気持ちを前向きな方向で受け止めることも必要なのではないかと思います。

これはネガティブ思考な私自身も気を付けないといけないことですけどね。

この記事が誰かのお役に立てれば幸いです。

最後までお読みいただきありがとうございました!

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